耐久高校は、嘉永5年(1852年)に濱口梧陵先生等が文武両道を掲げる稽古場(耐久社)を創設されてから本年で171年目を迎え、全国でも有数の歴史と伝統のある学校です。
その稽古場が創設されてから53年目の明治38年(1905年)に野球部が誕生しました。
(▲写真は耐久高校にある濱口梧陵先生の銅像と明治期・創部当時の野球部員)
野球部創部は和歌山県内では桐蔭高校(旧制和歌山中)、田辺高校(旧制田辺中)に次ぐもので、創部当時はスパイクの代わりに足袋を履いていました。また捕手のマスクは剣道の面を改造、バットは木を削り、グラブも手作りでした。
夏の第1回選手権大会は、大正4年(1915年)に開催され、本校野球部は第1回大会から出場していますが、戦争や学制改革後の時期を通算すると9回の欠場があります。また、部員が足らず、他のクラブ員に臨時に入部してもらい試合をした年もありました。
このように119年の道のりは決して平坦ではなく、資金難や部員不足などの困難を乗り越え、幾多の変遷を経ながら、創立者の精神である「文武両道」を果たしてきた多くの球児を輩出し、各方面で活躍され、今日に至っています。
主な戦績
▶昭和26年 選手権和歌山大会 ベスト4
(部長 高垣邦雄、監督 松野隆雄)
▶昭和45年 新人大会 ベスト4
(部長 南健治、監督 下野憲英)
▶昭和49年 春季近畿大会出場 準優勝
(部長 土谷晏造、監督 下野憲英)
▶昭和50年 新人大会 ベスト4
(部長 土谷晏造、監督 下野憲英)
▶昭和56年 秋季近畿大会出場 ベスト8
(部長 松本秀法、監督 横山征支郎)
▶昭和58年 秋季近畿大会出場
(部長 松本秀法、監督 原政治)
▶昭和61年 選手権和歌山大会 ベスト4
(部長 増元貞夫、監督 金森健祐)
▶昭和62年 秋季近畿大会県予選 ベスト4
(部長 増元貞夫、監督 金森健祐)
▶昭和63年 春季近畿大会県予選 準優勝
(部長 増元貞夫、監督 金森健祐)
▶平成4年 選手権和歌山大会 ベスト4
(部長 大森通成、監督 金森健祐)
▶平成5年 春季近畿大会県予選 ベスト4
(部長 中山浩樹、監督 森本直寿)
▶平成14年 春季近畿大会県予選 準優勝
(部長 中伸一、監督 高津亮)
▶平成15年 春季近畿大会県予選 ベスト4
(部長 中伸一、監督 高津亮)
▶平成15年 新人大会 ベスト4
「21世紀枠」和歌山県代表
(部長 中伸一、監督 高津亮)
▶平成16年 春季近畿大会県予選 ベスト4
(部長 中伸一、監督 高津亮)
▶平成17年 新人大会 ベスト4
(部長 中伸一、監督 岩岡三郎)
▶令和2年 新人大会 ベスト8
「21世紀枠」和歌山県代表
(部長 岡本剛典、監督 井原正善)
▶令和5年 秋季近畿大会県予選 優勝
(部長 前山友佑、監督 井原正善)
▶令和5年 秋季近畿大会出場 ベスト4
(部長 前山友佑、監督 井原正善)
▶令和6年 第96回選抜高校野球大会出場(甲子園初出場!)
(部長 前山友佑、監督 井原正善)
歴代監督
昭和24~25年 桑田賢三
昭和26~31年 松野隆雄
昭和32~34年 小川庄平
昭和35年 中川定尚
昭和36年 芝 輝
昭和37年 下野憲英
昭和38年 芝 輝
昭和39~40年 下野憲英
昭和41年 東 喜裕
昭和42~43年 横山征支郎
昭和44~53年 下野憲英
昭和54~57年 横山征支郎
昭和58~59年 原 政治
昭和60~平成4年 金森健祐
平成5~7年 森本直寿
平成8~10年 中山浩樹
平成11~16年 高津 亮
平成17~19年 岩岡三郎
平成20~24年 北畑清誠
平成25年 富樫大地
平成26年~30年 宮下隼一
令和元年~ 井原正善
学校へのアクセス
〒643-0004 和歌山県有田郡湯浅町湯浅1985
TEL 0737-62-4148